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極北の小型ティランノ類

矮小恐竜が極北を闊歩していた



アラスカで見つかった小型ティランノサウルス類の化石は季節変動が体の大きさに影響していたらしいことを示す。

Alexandra Witze

12 March 2014


7000万年前の極北のティランノサウルス類
新しく発見されたナヌクサウルスは小型ティランノサウルス類の疑いの余地がない最初の例だと考えられている
KAREN CARR


北極圏より北のアラスカの川沿いで、古生物学者たちは両極で初めてのティランノサウルス類の種の化石を発掘した。

これほど北に棲息していた新種の動物は、イヌピアト族の言葉でホッキョクグマ(nanuq)から、ナヌクサウルス・ホグルンディ(Nanuqsaurus hoglundi)と名付けられた。それが世界最北地の近くに存在したことはティランノサウルス・レクス(Tyrannosaurus rex)の類縁種が、約7000万年前の極度に厳しい極地方の環境で生き、繁栄までしていたことを示す。

より重要だと思われるのは、ナヌクサウルスが小型ティランノサウルス類の疑いの余地がない最初の例だと考えられることだ。生きていた時、このアラスカ産恐竜は体長約7メートルだった――鼻から尾まで12メートルにもなるTレクスと比べると小さい。

「矮小ティランノサウルス類が現れるのを見るなんて考えてもみなかった」とカーセッジ大学(ウィスコンシン州ケノーシャ)の古生物学者、トマス・カー(Thomas Carr)は話す。彼はこの研究に関与していない。

ナヌクサウルスの比較的小さなサイズは6ヶ月の光明と6ヶ月の暗闇によって制限される環境で食料を狩るという生態的圧力に起因するものと考えられる。「ティランノサウルス類を小さな体躯に成長させるよう選択する環境についての何かがあった」とペロー自然科学博物館(テキサス州ダラス)の古生物学者、アンソニー・フィオリロ(Anthony Fiorillo)は話す。彼と、同様にダラス博物館のロナルド・タイコスキ(Ronald Tykoski)の2人は研究結果を今日プロスワン誌(PLoS ONE)に報告した。

白熱電球的ひらめき
フィオリロと彼の共同研究者たちは、現在も継続中のアラスカのノース・スロープ地域のプロジェクトの一環として、2006年にナヌクサウルスの化石を含む岩石の塊を発掘した。タイコスキはすぐに頭骨の一部といくつかの顎の断片をクリーニングした。しかし、科学者たちはそえらが北極に固有の恐竜なのか世界の他の部分から知られている種の北にいた例に過ぎないのか分からなかった。


Ron Tykoski/Perot Museum of Nature and Science

「去年ぐらいになって、いくつかの他のティランノサウルス類の論文が出てから、我々はこれらの断片を分析にかけることができた――そして小さな電球が我々の頭上にひらめいた」とタイコスキは話す。「我々は、うわ、これは違うと言った」

ナヌクサウルスはT・レクスや似たティランノサウルス類と近縁だが、それよりはるかに小さい。ナヌクサウルスの化石は完全に成長した恐竜のもので間違いない、とフィオリロは話す。顎の関節の一つが成体の動物にしか見られない明瞭な杭とソケットのパターンを見せているからだ。

その思わず明らかとなったパターンはナヌクサウルスがナノティランヌス・ランケンシス(Nanotyrannus lancensis)に降りかかった運命を被らないことを示す。ナノティランヌスは一部の科学者たちはミニチュアのティランノサウルス類の固有な種であると考えるが、他の研究者たちは赤ちゃんT・レクスに過ぎないと考えている。ナヌクサウルスは「小型の成体ティランノサウルス類がどのような姿をしていたかの標準を確立する」とカーは話す。

それがなぜ他のティランノサウルス類に比べて小型のままであったのかは不可解なままだ。当時アラスカに棲息していた別の肉食恐竜――トロオドン(Troodon)と呼ばれる二本脚の捕食恐竜――ははるか南のものより北のバージョンのほうが大きく成長した。ナヌクサウルスは逆の傾向に従っている。

トロオドンとナヌクサウルスはどちらも極端な季節変動に対処しなくてはならなかったはずだ、とフィオリロは話す。それらが存在した当時、アラスカは少なくとも現在と同じぐらい北に位置していたが、気温は全体的に今より温暖だった。極北の景観は夏ごとの生物生産力の巨大なパルスを経た後に、寒い冬を迎える。それぞれの種がこの変動する環境に各々の方法で適応したのだろう、と彼は話す。「何かが捕食恐竜の最適な体サイズを規定していた」

今回の研究では、ナヌクサウルスのサイズはその頭骨の計測値を外挿して見積もられたが、大腿骨などの他の主要な骨が見つかればこの動物の正確なサイズを確実にできるだろう、とカーは話す。

少なくともいくつかのそういった発見が進行中である。フィオリロとタイコスキがナヌクサウルスの記載の最終稿に同意するやいなや、彼らはアラスカの岩石に戻って何か新しい研究材料を探した――そしてこの新種の恐竜の頭骨断片の反対側の半分に出くわした。

元記事
Nature News
Diminutive dinosaur stalked the Arctic
Alexandra Witze, 12 March 2014
Nature doi:10.1038/nature.2014.14859

原論文
Anthony R. Fiorillo, Ronald S. Tykoski
A Diminutive New Tyrannosaur from the Top of the World
PLoS ONE 9(3): e91287. doi:10.1371/journal.pone.0091287

水棲オオナマケモノの骨

大昔のナマケモノが水棲生活をしていた秘密が明らかに



By Laura Poppick, Staff Writer | March 11, 2014 09:49pm ET


海棲ナマケモノ、タラッソクヌス(Thalassocnus)の骨格と復元。
Credit: © Photographs and mounting: Philippe Loubry; restoration, William L. Parsons


数百万年前、現在のチリ・ペルー沖の浅海を水棲ナマケモノが泳いでいた。これらの今は絶滅した遊泳動物は密度の高い骨を持っていて、植生を食みに海底へ沈みやすくすることで陸から海への移行を容易にしていたことが、新しく報告された。

ナマケモノは現在2グループだけが存在していて、ともに樹上に棲み小型サルほどの大きさに成長する。しかし中新世と鮮新世のあいだ――約2500万年から400万年前――はじつに多様なナマケモノが地球上に広まっていて、その中にはゾウほどの大きさに成長したオオナマケモノや、それより少し小さな水中で過ごしていたものがいた。

化石からこれらの水棲ナマケモノが陸上に起源し、しだいに水中生活に移行したことが分かっている。ペルー沿岸の一連の化石層には、研究者たちが骨の構造に基づいて水棲だったと解釈した5種の絶滅ナマケモノの化石が含まれている。たとえば、それらの骨の密度は地上棲哺乳類の骨の密度よりはるかに高いが、マナティーなどの海底の食性を食む水棲哺乳類の骨に似ている。

パリ=ソルボンヌ大学の研究者たちはこの陸から海への移行を確認することに興味を持ち、ペルーの化石層に保存された次第に新しくなっていく種のあいだの骨密度の変化を研究することで移行の時期を分析した。

「見つかった緻密度が本当に度を超していて明らかに水棲適応を見せるということを示すのは我々にとって本当に重要だった。それほど重度の稠密さは水棲動物にしか見られないからだ」と研究の共著者エリ・アムソン(Eli Amson)はLive Scienceに語った。

チームはナマケモノの脛骨(スネの骨)と肋骨の密度がすべて、約800万年前に始まるおよそ300万年のうちにおよそ20パーセント増えたことを見いだした。これは地質学的時間の視野では比較的速い。

これらの化石はあらゆる4本脚哺乳類の地上から水棲生活への移行タイミングのなかで最良の証拠となる、とチームは話す。

移行、絶滅の原因

ナマケモノの陸から海への移行の原因はペルー沿岸での食料の不足だろう。

「当時、ペルー沿岸は現在のように砂漠だった」とアムソンは話した。「食べ物がないので、彼らは食料を消費するために水に潜らねばならなかった」

水棲ナマケモノの陸棲の祖先も他の哺乳類に比べて比較的密度の高い骨を持っていたため、研究者たちは高い骨密度が陸上で何らかの無関係の機能を果たしていて、その後水中への移行を容易にしたのではないかと考えている。研究者たちはナマケモノが陸上で高密度の骨からどのような利益を得ていたのか分からないが、現在もいくつかの他の陸棲動物が異常に稠密な骨を持っていることに触れた。たとえば、サイは比較的高密度な骨を持っていて他の動物に突進するのを助けると考えられている、とアムソンは話した。

水棲ナマケモノは約400万年前に絶滅した。パナマ地峡が閉じて太平洋が現在のカリブ海から切り離されたころだ。この変化によって南米沖の海水をそれまでよりはるかに冷たいものになり、ナマケモノが食べていた海草類を死滅させた。研究者たちはナマケモノが主な食料源の喪失か、あるいは単純に彼らが冷たい海水に耐えられなかったのどちらかのせいで絶滅したと考えている。

チームは5種のナマケモノのものである他の骨の研究を続け、彼らがどのように進化したかを解明する計画だ。

研究結果は今日(3月11日)、Proceedings of the Royal Society B誌に詳報される。

元記事
Live Science
Secret to Ancient Sloths' Aquatic Lives Found
By Laura Poppick, March 11, 2014 09:49pm ET

原論文
Eli Amson, Christian de Muizon, Michel Laurin, Christine Argot and Vivian de Buffrénil
Gradual adaptation of bone structure to aquatic lifestyle in extinct sloths from Peru
Proc. R. Soc. B 7 May 2014 vol. 281 no. 1782 20140192
Published 12 March 2014 doi: 10.1098/rspb.2014.0192

ドロモメロンと恐竜の出現

恐竜の出現はやはりそれほど急速ではなかった



By Robert Sanders, Media Relations | 19 July 2007

バークリー-ニューメキシコ州北部のよく描かれた名所、アロヨで発見された化石によって恐竜類と非恐竜祖先が数千万年にわたって隣り合って棲息していたことがはじめて明らかになった。このことから恐竜類が時代遅れだと思われていた先行動物たちと急速に置き換わったという考えが間違いであることが分かった。


ニューメキシコ州ゴーストランチでUCバークリーとアメリカ自然史博物館の科学者たちによって発見された、2種の肉食恐竜と2種の恐竜の祖先動物。いちばん後ろが未同定のコエロフィシス上科恐竜で、その前が恐竜チンデサウルス・ブリアンスマリ。チンデサウルスは現在のクロコダイル類の祖先動物を食べている。手前が2種の恐竜の祖先動物で、シレサウルスに似た四足歩行の草食動物と、いちばん前の新しく記載されたドロモメロン・ロメリ。(Drawing by Donna Braginetz for UC Berkeley, courtesy of Science magazine)

化石はゴーストランチのヘイデン採石場(Hayden Quarry)から、カリフォルニア大学バークリー校、アメリカ自然史博物館、およびフィールド博物館の古生物学者たちのチームによって発掘された。ゴーストランチはジョージア・オキーフ(Georgia O'Keefe)の絵で名が知られた地域だ。研究者たちがドロモメロン・ロメリ(Dromomeron romeri)と名づけた新種の恐竜類に先行する動物の化石骨を含む、発見はサイエンス誌(Science)の6月20日号の表紙記事に記載された。

「今まで、古生物学者たちは恐竜の先行動物は恐竜が出現するはるか前にいなくなっていたと考えていた。つまり恐竜の祖先動物は恐竜との競争に負け、置き換えられて生き残らなかったと考えられた」と共著者のUCバークリー総合生物学教授・同古生物学博物館学芸員、ケヴィン・パディアン(Kevin Padian)は話した。「証拠によると両者は1500万年や2000万年かそれ以上にわたって共存していたらしい」

筆頭著者のUCバークリーとニューヨークのアメリカ自然史博物館の院生、ランドル・アーミス(Randall Irmis)とスターリング・ネスビット(Sterling Nesbitt)によると、新しい骨がもたらす解剖学情報は恐竜の先行動物の進化、それらの真の恐竜類への変遷、および恐竜類がどのように多様化したかについて古生物学者たちに教えてくれる。

「恐竜の先行動物、すなわち恐竜形類(dinosauromorphs)が恐竜とともに見つかったことは、切り替わりのペースについてのことを教えてくれる」とアーミスは話した。「先行動物と恐竜類とのあいだに競争があったのなら、それは極めて長きにわたる競争だった」

もう一つの仮説は三畳紀後期に起こった多数の動物が突然絶滅したことによって恐竜類が多様化しついには全地球に棲み着くことができたと考えていた。だが新しい発見に基づくと「後期三畳紀に絶滅したとされていたグループのかなり多くが生き残っていた」とアーミスは話した。

恐竜類や、哺乳類、トカゲ類、ワニ類、カメ類、およびカエル類を含む多くの他の動物たちは後期三畳紀(2億3500万から2億年前)に出現したが、恐竜類が地球を支配し恐竜の先行動物のすべてが絶滅したのはジュラ紀(2億から1億2000万年前)になってからだった。そのため後期三畳紀の恐竜類の化石は少なく、2003年にシレサウルス(Silesaurus、サイレソーラス)という名前の生物がポーランドで発見されるまでは恐竜の先行動物も後期三畳紀から見つかっていなかった。

ヘイデン採石場で、アーミスとネスビットは初期恐竜類と恐竜の先行動物の両方を、ワニ類の祖先、魚類、および両生類の骨とともに見つけた。すべて年代は2億2000万から2億1000万年前までのものだ。サイエンス誌の報告には肉食恐竜チンデサウルス・ブリアンスマリ(Chindesaurus bryansmalli、シンディソーラス)の脚の骨(大腿骨)と、有名な三畳紀の肉食恐竜コエロフィシス(Coelophysis、シーロファイシス)の近縁種の発見も詳述されている。両種は2本脚で歩いており、そのさまは1993年の映画『ジュラシックパーク』("Jurassic Park")で狡猾なパックハンターとして描かれた、はるかに後の時代のヴェロキラプトル(Velociraptor)を思わせる。


未同定のコエロフィシス上科恐竜;恐竜チンデサウルス・ブリアンスマリ;恐竜の先行動物シレサウルスに似た四足歩行の草食動物;および新しく記載された恐竜の先行動物ドロモメロン・ロメリ(後ろから前)のサイズ比較。(Drawing by Donna Braginetz for UC Berkeley)

この産地で初めて見つかった恐竜の先行動物がドロモメロン・ロメリ(ドロモメロン・ロマライ)で、ラゲルペトン(Lagerpeton)という名前の2億3500万年前のアルゼンチンにいた中期三畳紀の先行動物に近縁な生物だ。ドロモメロンは全長3から5フィートで、二足歩行だったと思われる、と著者たちは結論づけている。もう一つの先行動物は未命名の、四足歩行の、クチバシのある草を食む動物であり、サイズはドロモメロンの約4倍でシレサウルスと同じくらいだ。

「誰もがすべての恐竜の祖先動物は小さな肉食の、二足歩行の動物だったと考えていた」とアーミスは話した。「このシレサウルスに似た生物は恐竜の形態をまだ保っているが、四足歩行の草食動物が見つかるとは予想されていなかった」

アーミスは後期三畳紀のあいだ、世界の大陸はパンゲアと呼ばれる単一の超大陸であり、ニューメキシコ州の産地は当時赤道付近にあったことを指摘した。それに対して、アルゼンチンの恐竜の先行動物はパンゲアの中でも中緯度から産したものだ。これは恐竜の先行動物の生き残りに地理的差異があったことを示唆するか、あるいは単に産出化石が不足していることを反映しているかだ、と彼は話した。

画家オキーフが住んでいたアビキューの町の近くにあるゴーストランチはチンリ累層(Chinle Formation)から発掘された三畳紀の化石で知られている。化石の多くは採石場の本部にあるルース・ホール古生物学博物館に保管されていて、そこは長老派教会によってリトリート・会議センターとして運営されている。UCバークリーとアメリカ自然史博物館の科学者たちは過去80年間のさまざまな期間にこの地を訪れていて、高名な古生物学者エドワード・ドリンカー・コープ(Edward Drinker Cope)のために収集するコレクターたちが1881年に最初のコエロフィシス(Coelophysis)恐竜の化石を発見した。

だが、ヘイデン採石場は2002年にハイカーが化石を発見してから開始された比較的新しい発掘地だ。2005年にゴーストランチの古生物学者アレックス・ダウンズ(Alex Downs)がこれらの化石の一部をアーミスとネスビットに見せた後、2人の大学院生は2006年の夏と今夏の始めに、一週間の夏の古生物学セミナーに参加した市民のメンバーの助力を得ながら、この産地を発掘する手筈を整えた。


ニューメキシコ州ゴーストランチのヘイデン採石場で発見された恐竜の骨。(Randall Irmis/UC Berkeley photo)

「2005年の夏に、我々は採石場で1日過ごして半ダースの恐竜の骨を見つけた。そんなの三畳紀の堆積物では聞いたことがないことだ」とアーミスは話した。「私は夏が来るたびにペトリファイド・フォレスト国立公園でフィールドワークをしながら過ごした。そこには同じ年代の岩石があり、見つかった恐竜の骨は運が良くて1シーズンに半ダースだ。だから、我々はこれが非常に特別な産地であることが分かった」

ぜんぶで彼らは1,300点の化石標本を見つけ、その中にはいくつかの完全な骨もあった。論文に記載された化石に完全な骨格をつくるものはなかった。ほとんどが20フィート×10フィートの範囲で採集された。研究チームは採石場の中の3か所で発掘を続けていて、がれきをふるいにかけて哺乳類、トカゲ類、魚類のより小さな化石を探しているところだ。

「ランディとスターリングはこの全てのものを見つけたとは賢い;二人の男はもの凄い仕事をまさにやろうとしている」とパディアンは話した。ネスビットがUCバークリーから総合生物学の学士を得たことに言及して、パディアンはこう続けた。「彼らは恐竜の始まりである、三畳紀からの発見というUCバークリーの伝統を続けている」

アーミス、ネスビット、パディアン、およびダウンズに加えて、他の著者はシカゴのフィールド自然史博物館の院生ネイサン・D・スミス(Nathan D. Smith)、アメリカ自然史博物館の院生アラン・H・ターナー(Alan H. Turner)、およびコロラド大学(ボルダー)の院生ダニエル・ウーディ(Daniel Woody)である。

フィールド調査はナショナルジオグラフィック協会、セオドア・ルーズヴェルト記念基金、およびジュラシック財団の資金を受けた。アーミスとネスビットはアメリカ国立科学財団院生奨学金の支援も受けた。

元記事
UC Berkeley Press Release
Rise of dinosaurs not so rapid after all
Robert Sanders, 19 July 2007

原論文
Randall B. Irmis, Sterling J. Nesbitt, Kevin Padian, Nathan D. Smith, Alan H. Turner, Daniel Woody, Alex Downs
A Late Triassic Dinosauromorph Assemblage from New Mexico and the Rise of Dinosaurs
Science 20 July 2007: Vol. 317 no. 5836 pp. 358-361
DOI: 10.1126/science.1143325

クローヴィス人のゲノム

古代ゲノムが起こす倫理論議



アメリカ先住民「クローヴィス・ボーイ」のDNA配列は部族の人骨の扱いについて研究者たちに再考を強いる。

Ewen Callaway

12 February 2014


Robert L. Walker
クローヴィス文化の人類は特徴的な尖頭器(茶色)と棒形の骨器を使っていた。


モンタナ州で約12,600年前に埋葬された若い少年の人骨によって、アメリカで最初期の集団の一つであるクローヴィス文化の系統が明らかになった。

ネイチャー誌(Nature)本号に発表された少年のゲノム配列から、南北アメリカに広がる現在の先住民グループがすべてアジアからベーリング陸橋を渡ってきた単一集団の子孫であることが分かった(M. Rasmussen et al. Nature 506, 225–229; 2014)。この分析によりクローヴィス人の祖先と、カナダとグリーンランドの集団にDNAを残す第二グループとが早期に分岐していたことも判明した(162ページ参照)。

だがこの研究は古代アメリカ先住民の人骨の研究に倫理的問題が潜むことを浮き彫りにし、1990年代に起こった別の人類骨格をめぐる法廷闘争のつらい記憶もよみがえった。

かのような論争を避けるため、今回の研究を率いたコペンハーゲン大学の古生物学者、エスケ・ウィラースレフ(Eske Willerslev)はアメリカ先住民コミュニティに関与してもらおうと考えた。彼は昨年モンタナ州のインディアン特別保留地ツアーに参加し、コミュニティのメンバーに話しかけて研究の説明をし支援を求めた。「彼らがこの研究について初めて聞いたのはそれが発表されたときだったという状況にはしたくなかった」と彼は話す。


Source: Montana Office of Public Instruction

1968年5月、田舎町ウィルサール(Wilsall)の近くの私有牧場で建設作業員がクローヴィスの埋葬地を発見した(‘Ancient origins’参照)。約100点の石器・骨器に加えて、2歳以下の男の子の骨の断片がのちに収集された。

少年の骨は、約13,000~12,600年前のあいだに米国中西部に栄えたクローヴィス文化の終わりごろのものだと分かった。少年の骨とともに見つかった彫刻のあるヘラジカの骨はさらに数百年古く、それらが伝来の財物であったことを示唆した。メルヴィンとヘレン・アンジック(Melvyn and Helen Anzick)が所有するその牧場は、今でも人骨に随伴してクローヴィス遺物が発見された唯一の遺跡である。石器・骨器のほとんどは現在は博物館にあるが、1990年代後半に研究者たちは人骨をアンジック家に返還した。

当時アンジック家の娘、サラ(Sarah)は国立衛生研究所(メリーランド州ベセスダ)で癌とゲノムの研究を行っていて、この骨の遺伝物質の配列を読むことを考えていた。しかし彼女はこの骨にケネウィック・マンにまつわる議論と同様の論争が沸き起こることを警戒した。ケネウィック・マンは1996年7月にワシントン州ケネウィックのコロンビア川土手で見つかった人類骨格だ。その発見は、この人骨と文化的繋がりがあると主張するアメリカ先住民部族と、およそ9,000年前の人骨は部族より前のものだという研究者たちとのあいだの8年におよぶ法廷闘争の着火点となった。

米国政府は連邦法のアメリカ先住民墓地保護・返還法(NAGPRA)を引用して部族側の肩を持った。この法令は連邦有地で発見された人骨(ケネウィック・マンがそうだった)は再埋葬のため所属する部族へ返還されることを要求している。しかし裁判所はおもに人骨の年代を理由にこの法が適用されないことを裁決し、ケネウィック・マンを博物館に非公開で保管するよう命令した。

サラ・アンジックはクローヴィス・ボーイについて地元の部族に助言を求めたが、どうするべきか部族と共通見解に至らなかった。彼女は考えをあきらめ、その骨を安全な場所に保管して別の研究を始めた。

2009年、テキサスA&M大学(カレッジステーション)の考古学者、マイケル・ウォーターズ(Michael Waters)はアンジックに連絡をとって遺体をウィラースレフのラボに送ってはどうかと伝えた。(2010年前半に、このラボは4,000年前のグリーンランドの住人の、古代人類初のゲノム配列の一つを発表した;M. Rasmussen et al. Nature 463, 757–762; 2010参照。)「『あなたたちにこれの許可を出すけど、私も参加したい』と言った」とアンジックは回想する。彼女はトップレベル誌に十編以上の論文を発表している研究者だった。

コペンハーゲンで、彼女は少年の頭骨の断片からミトコンドリアのゲノム配列に十分なDNAを抽出した。ミトコンドリアDNAは個人の母系祖先のスナップショットを提供する。数ヶ月後にモンタナ州で彼女は配列データを受け取り、ゲノムが最もよく合致するのが現在のアメリカ先住民であることを発見した。「私の心臓は止まりそうになった」と彼女は話す。

遺体の権利
ウィラースレフのチームがこの繋がりを少年の核ゲノムの配列(より詳細に祖先系統を指し示す)を読んで確認したのち、ウィラースレフは再埋葬問題を扱う当局に助言を求めた。遺体が私有地で見つかったため、NAGPRAは適用されず、協議は必要ないと彼は言われた。それでもなお、ウィラースレフは地元の部族と協議しようとした。これは9月に埋葬地で行われた、アンジック、ウィラースレフ、および共著者でモンタナ州立大学(ボーズマン)でアメリカ先住民の研究をしていてクロウ族のメンバーでもあるシェイン・ドイル(Shane Doyle)による会合につながった。

「そこは私にとってとても特別な場所だ。私の祖先の故郷だもの」とドイルは話す。彼はウィラースレフとアンジックに子どもは見つかった場所に再埋葬すべきだと話した。「この小さな男の子は両親が彼を残した場所に戻してやる必要があると思う」とドイルは彼らに話したことを回想する。

それからドイルとウィラースレフは4つのモンタナ州の部族の代表と会うために1,500キロメートルの道路の旅に出た。その後ドイルは別の5つの部族と協議した。ドイルによると、彼らが話した人びとの多くは研究にほとんど問題なしとしたが、一部の人びとは研究の何年も後でなく、始める前に協議したほうが良かったと話した。

ウィラースレフは初期アメリカ人の遺物を研究する研究者たちはそれらが現代の集団と関係することを想定し、できる限り早く彼らを関与させるべきだと話す。しかし誰に連絡すべきかは常に明らかなわけではない、と彼は続ける。とくに遺物がアメリカ中に広がる集団に関係する場合にそうだ。「アメリカ先住民と連携しなくてはならないが、実際にその問題をどのように処理するかは簡単なことではない」と彼は話す。

スタンフォード大学(カリフォルニア州)の法学者でヒト遺伝学の法的および倫理的問題を専門とする、ハンク・グリーリ(Hank Greely)はウィラースレフのチームのアプローチを推奨する。しかし彼はそういった研究にアメリカ先住民コミュニティを関与させるのに単一の解決策があるわけではないと話す。「特定の遺物のセットにもっとも労力を費やす、あるいは関係を持つ人びとと話をしようとするのを期待しているのだ」と彼は助言する。

ユタ大学(ソルトレイクシティ)の遺伝学者でアラスカ周辺の島嶼の先住民からの古代DNAを研究している、デニス・オローク(Dennis O’Rourke)は先住民のグループが重視することが多様であると注意する。例えば、ある人びとは遺体の再埋葬を希望し、別の人びとはしないなどがある。

モンタナ州の部族はクローヴィスの少年の骨を埋葬するよう強く求めた。未公開の遺跡で行われると思われる再埋葬式の計画は、現在クロウ族が中心的役割を担って話し合われているところだ。それは地面が解けた後の、今春に行われると予想される。

元記事
Nature News
Ancient genome stirs ethics debate
Ewen Callaway, 12 February 2014
Nature 506, 142–143 (13 February 2014) doi:10.1038/506142a

有胎盤類の出現年代

恐竜とともに地球上にいた哺乳類はどれかをめぐる議論



遺伝学的ツリーは有胎盤哺乳類が大絶滅の後になってから出現したとする化石に基づく結論に異義を唱える。

Ewen Callaway

15 January 2014


O'Leary, M. A. et al. 2013
最初期の有胎盤哺乳類の仮説的復元はそれがほとんどの恐竜が絶滅した後に生きていたことを示すが、このグループがそれよりずっと前に起源したと考える研究者もいる。


胎盤を持った最初の哺乳類は恐竜と一緒に生きていたのだろうか――それとも巨大小惑星が恐竜を一掃した後に出現したのだろうか?これは化石こそ生命史の究極的なタイムキーパーだと主張する科学者たちと遺伝学が与える年代のほうが信頼できると言う研究者たちが戦う白熱した議論の対象となっている。

そのような議論は研究者たちが最初にタンパクとDNAから進化の詳細についての情報を集め始めて以来、何十年にわたって行われてきた。しかし有胎盤哺乳類――クジラ、マウス、ヒトなどの、発生の進んだ段階にある子どもを産む動物――をめぐる小競り合いは昨年のはじめに発表された論文で始まった。その論文はこのグループが6500万年前に、鳥類に進化しなかった恐竜類が絶滅した後になってから多様化したと主張していた。

その研究のために、ストーニーブルック大学(ニューヨーク)の生物学者、モーリン・オリーリ(Maureen O’Leary)らのチームは、数年をかけて数十種の現生および化石哺乳類の何千点もの形質を明らかにし分析した。チームはそれらの形質と遺伝学データを組み合わせて巨大な系統樹を構築し、それぞれの有胎盤哺乳類が互いにどのような類縁関係にあるかを示した。

しかし各生物がいつ進化したかを確立するために、研究者たちは化石記録だけを調べた。彼女らは最初期の有胎盤哺乳類が恐竜を絶滅させ、白亜紀の終わりと暁新世の始まりを画した小惑星衝突の後になってから現れたと結論づけた。チームによると、これの後に有胎盤類は急速に多様化して、哺乳類たちの集団が恐竜が残した生息地のニッチを埋めたという。

ブリストル大学(英国)の古生物学者、フィル・ドナヒュー(Phil Donoghue)と彼の仲間たちは納得しなかった。オリーリの研究は「あらゆる面で信じられないほど印象的な研究だ――進化史のタイムスケールを除いて」と彼は話す。「我々が本当に懸念したのはこのことが教科書に載ってしまったことだ」

化石境界
ドナヒューとユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの進化遺伝学者、マリオ・ドス・レイス(Mario dos Reis)と
楊子恒(Ziheng Yang)はバイオロジー・レターズ誌(Biology Letters)に研究を発表した。この研究はオリーリのチームが種の系統がその最古の化石より遡らないと推定したところで致命的失敗をしたと主張する。ドナヒューによると、逆に化石は系統の最小時代となるはずだという。動物は化石の時代より前にも存在していたが、化石として保存されなかったかその化石がまだ発見されていない可能性が高いからだ。

この考え方の数学的工夫と数十種の哺乳類のゲノムデータを使って、ドナヒューのチームは有胎盤哺乳類の系統樹の新しい年代を計算した。研究者たちは有胎盤哺乳類が最初に出現したのは1億800万から7200万年前の間――(非鳥類)恐竜が絶滅するはるかに前――だったと結論づけた。

この反論は2013年8月にオリーリの論文についてのテクニカルコメントに続くものだった。その中で独立したグループも提示された暁新世起源の説に疑いを感じた。その理由は、彼らによると有胎盤哺乳類の初期多様化を説明するために進化率の劇的な増大が必要だからだ。

しっかりした証拠
オリーリは、彼女のチームが有胎盤哺乳類が化石証拠が示すよりも古いと推定することによってバイアスが導入されるのを避けようとしたという。しかしデューク大学(ノースカロライナ州ダーラム)の進化遺伝学者、アン・ヨーダー(Anne Yoder)はドナヒューとドス・レイスと楊のアプローチを支持する。「誰が正しくて誰が間違ってるかを言うのは難しいが、データ量はドス・レイスの結論を支持する」と彼女は言う。

ヨーダーによると発見が分子と化石の年代を調和させる潜在性があるという。10年前に彼女は遺伝学データを使って、最古の化石は2000万年前より古くないが、ガラゴ類とロリス類の共通祖先がおよそ4000万年前に生息していたと結論づけた。彼女の論文が印刷中のあいだに、あるチームが彼女の予言と合致する4000万年以上前化石を報告した

現在の議論については、「初期有胎盤哺乳類が白亜系から見つかってこれを最終的に決着させるだろう」とヨーダーは話す。オリーリはこの問題が数学モデルではなく、化石証拠によって解決されることに賛成する。「これはコンピュータによって解決される問題だとは思えない」と彼女は話す。

元記事
Nature News
Debate over which mammals roamed with the dinosaurs
Ewen Callaway, 15 January 2014
Nature doi:10.1038/nature.2014.14522
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