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ストーンヘンジは統一記念碑

ストーンヘンジがブリテン統一のモニュメントだったことを研究は発見した

22 June 2012


ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクトのチーム

10年の考古調査の後、研究者たちはストーンヘンジが、ブリテン東部と西部のあいだの衝突と地域的違いの長い時代の後に、ブリテンの人々を統一するモニュメントとして建設されたと結論づけた。

その石はブリテン最初期の農耕共同体の異なるグループの祖先をシンボル化していると考えられている。一部の石はイングランド南部から来て他は西ウェールズから来た。

ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト(SRP)を構成するシェフィールド大学、マンチェスター大学、サウサンプトン大学、ボーンマス大学、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンからのチームは、ストーンヘンジとその風景だけでなく、およそ3,000 BCおよび2,500 BCのモニュメントが主に構築された時期の社会的、経済的背景も広く調査した。

シェフィールド大学教授のマイク・パーカー・ピアソンは次のように話した。「ストーンヘンジが建設された時、島全体に広がる文化が発展していた。同じ様式の家屋や土器などの道具がオークニーから南海岸までで使われていた。これはそれ以前の数世紀にあった地域主義とはまったく異なるものだ。ストーンヘンジ自体は、西ウェールズまでの遠地から石を動かし、整形し、そして起立させるのに何千人もの労働者を必要とする、大規模な事業だった。その仕事は、全員が文字通りお互いを引き合うことが必要で、統一の活動そのものだった」

ストーンヘンジは先史時代のブリトン人にとってもすでに特別の重要性を持つ場所だったところに建設されたらしい。SRPチームはその夏至・冬至に整列された道が、偶然に夏至の日の出と当時の日没の方向の間の軸を形づくっていた一連の自然地形の上に乗っていることを発見した。

パーカー・ピアソン教授は次のように続けた。「風変わりな地面につけられた太陽の通り道の自然配列を偶然見つけたとき、我々は先史時代の人々がこの場所の運命的な重要性のためにここをストーンヘンジを建設する場所に選んだことに気づいた。これはストーンヘンジの地域に夏至・冬至の配列を持つモニュメントが8つもある理由の説明になるだろう。これは他では見られない数だ。もしかすると彼らはこの場所を世界の中心と見ていたのかも知れない」

夏至前日のストーンヘンジには多くの人々が群がるけれども、ストーンヘンジが建設された5,000-4,500年前には、冬至のほうが一年で重要な時間だったと思われる。

パーカー・ピアソン教授によると、「ブタの歯の年齢から、ダーリントン・ウォールズの近くの村落で高品質の豚肉が冬至の間に食べられたことが分かっている。ストーンヘンジ地域にあるモニュメントのほとんどで、中心軸は夏至の日の出の反対方向の夏至の日没の向きあり、そこはモニュメント最大の三石塔の石組みによって枠組みが作られている」

パーカー・ピアソンとSRPチームはストーンヘンジが古代エジプトや地球外生物に触発されて作られたという考えを固く否定した。彼によると「ストーンヘンジへの全ての建築上の影響はブリテンの中のモニュメントと建築物に見つかり、ウェールズとスコットランドの起源を伴う。実際に、ブリテンの新石器時代人は何世紀にもわたってヨーロッパの残りから隔離されていた。ブリテンは統一されていったと思われるが、イギリス海峡を越えた人々の交流には関心を持たなかったらしい。ストーンヘンジはこの石器時代文化の断末魔であったと思われ、その文化はヨーロッパからも金属器と車輪という新技術からも隔離されていた」

以前の理論は巨大な環状列石は先史時代の天文台、太陽神殿、治癒の場所、および古代ドルイドの神殿、などとして使われていた提唱していた。ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクトの研究者たちは、この図像的モニュメントにいままで計画された中で最大の考古調査プログラムの後に、これらの可能性を全て否定している。ダーリントン・ウォールズでのストーンヘンジ近傍の家屋と大きな村落の発見のほかに、彼らは以前の環状列石、ブルーストーンヘンジも発見しており、ストーンヘンジ自体の年代も改訂している。これらの発見の全てが今ではパーカー・ピアソンの新著"Stonehenge: exploring the greatest Stone Age mystery"(Simon & Schuster刊)に提示されている。本研究は芸術人文研究協議会、ナショナル・ジオグラフィック、および多くの他の基金の資金援助を受けた。

University of Sheffield Press Release
Research finds Stonehenge was monument marking unification of Britain
22 June 2012

原書 - amazon
Stonehenge: Exploring the Greatest Stone Age Mystery



農耕時代になると森林はどんどん切り開かれ、金属器時代が始まると精錬燃料用に森林が切り尽くされて、もはや樹木による巨大建築物が作れなくなって巨石文明が発展した、という話もあります。ブリテン島の場合はどうだったのでしょうか。

巨石建築物を作るとなると、適度な耐久性と加工のしやすさを持った石をどこかから持ってくる必要があります。耐久性を優先すると、硬い火成岩か変成岩を使うことになります。イギリスの地質図を見ると、ストーンヘンジにいちばん近い火成岩産地は、ウェールズに出るオルドビス紀の火成岩です(カレドニア造山運動に伴う火山活動で形成された)。ストーンヘンジを作った人が西ウェールズの岩石を使ったのは統一の象徴などではなく、単に建設に適した岩石を選んだ結果、というのではダメなんでしょうかね。

調べてみると、ストーンヘンジに使われた石は、ウェールズ産のやや変成を受けたドレライト(ブルーストーン)と、第三紀の砂岩(サルセンストーン)の二つあり、後者はストーンヘンジの近くで取れた石だそうです。ぜんぶ砂岩で作らずに青みがかったドレライトを使ったということは、やはり理由があってのことでしょう。日本でも関東地方の板碑に緑がかった緑泥石片岩が使われていたように、その石に何らかの宗教的価値を見い出していたのかも知れません。
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