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北米最古のチョコレート?

北アメリカにおけるチョコレートの最初期の証拠



by Traci Watson on 22 January 2013, 4:00 PM


ボウル一杯のチョコレート。アメリカ南西部から産したこれらの陶器のボウルはチョコレートの中のいくつかの成分の痕跡を見せる。
Credit: Peabody Museum of Archeology and Ethnology/Harvard University


彼らはトウモロコシと育て、竪穴式住居に住む地味な農民だった。しかし1200年前にキャニオンランズ国立公園(ユタ州)の近くの、サイト13と呼ばれるユタ州の村に生きていたこれらの人々は、少なくとも一つの道楽を持っていたと思われる。チョコレートだ。研究者たちはこの地域から発掘された半ダースのボウルが、北アメリカで知られている最初期のチョコレートの痕跡を含むことを報告する。この研究結果は西暦8世紀末までに、熱帯でしか育たないカカオ豆が何千キロメートルも離れた果樹園からユタ州へと輸入されていたことをほのめかす。

米国南西部北部の初期の人々は、ニューメキシコ州のチャコ・キャニオンで巨大な石造りの「グレートハウス」を構築し見事な土器を作ることになったと思われる民族だ。この発見は、彼らのメソアメリカの隣人との交流が少なかったという、広く受け入れられている考え方の再考を考古学者たちに強いるだろう。新しい主張に興味を引かれたが、懐疑的な科学者もいる。

新しい研究は「素晴らしい、たぶん…考古学者たちは米国南西部とメソアメリカとの繋がりを100年にわたって探してきた」とテキサス大学(サンアントニオ)のロバート・ハード(Robert Hard)は話す。「私はこれがチョコレートだとは確信していない」

この研究結果はペンシルヴェニア大学考古人類学博物館(フィラデルフィア)の考古学者、ドロシー・ウォッシバーン(Dorothy Washburn)と彼女の夫でブリストル・マイヤーズ・スクイブ(ニュージャージー州プリンストン)の化学者、ウィリアム・ウォッシバーンとの間の共同研究に由来する。以前の研究で、彼女らはニューメキシコ州チャコ・キャニオンと他の米国南西部の遺跡にある11世紀の墓地から産した土器にカカオの証拠を検出した。追跡調査として、2人の科学者はおよそ西暦770年の年代の、サイト13から1930年代に発掘されたボウルをテストした。

研究者たちはボウルの中を渦巻く水で洗い、すすぎ水の中の成分を高解像度液体クロマトグラフィー質量分析器で分析した。この機器は混合物の構成成分を分離しそれぞれの質量を決定する。彼女らはこの思いがけない分子をサイト13に近い他の村と2つのコロラド州の村から産した土器にも見いだした。サイト13のカカオは北アメリカで最古であり、チャコのチョコレートの記録を約300年も更新する。人類のカカオ習慣は少なくとも、メキシコのモカヤ人がすでにチョコレート・ドリンクをたしなんでいた、紀元前1900から1500年にまでさかのぼる。

メソアメリカでは、カカオはほぼエリート階級の食物であり、彼らは宴会などの祭典に、しばしば香辛料を加えて、泡だったチョコレート・ドリンクをちびちび飲んだ。しかしサイト13などの8世紀の村は階級社会でなかったと思われ、チョコレートは庶民が消費していたと思われる。

村民たちはチョコレートを儀式的理由でなく、第一にその栄養価のために飲んだと思われる、と研究者たちはJournal of Archaeological Science誌に出版準備中の論文の中で述べている。あるいは、アズテック族の戦士がしたように、村民たちは旅中にトウモロコシとカカオのケーキを持ち歩き、ケーキに水を加えて初期バージョンのインスタント・ホット・チョコレートを作っていたのかもしれない。

この結果は、チームの以前の研究結果と合わせて、「たくさんの人々が北に移動したか、[メソアメリカからアメリカ南西部へと]このカカオを運んだ集中的な交易があったかのどちらか」を示す、とドロシー・ウォッシバーンは話す。「この信じられないような持続的な接触が二つの地域の間にあった」

今まで、メソアメリカから米国南西部北部への唯一の知られている輸入品は限られた量のオウム、銅鈴、および他の少しの品目だけだった、とワシントン州立大学(プルマン)の考古学者で米国南西部の専門家である、ウィリアム・ライプ(William Lipe)は話す。ほとんどの研究者は米国南西部の文化的発展は多くがメソアメリカの影響と独立した
ものだったと考えている、と彼は話す。しかしチョコレート漬けの南西部民は、メソアメリカの米国南西部の技術と儀式に対する影響がこれまでの予想より大きかったことをほのめかす。

他の研究者たちは、興味を持ちながらも、慎重である。そもそも新しい研究と著者たちの以前の調査があまりにたくさんのチョコレートを見つけてきたからだ。カカオがそんなにありふれていたのなら、それに対する民話や視覚的描写や歴史的言及があってしかるべきだ、とアリゾナ州立大学(テンペ)のベン・ネルソン(Ben Nelson)はEメールに書いている。彼はメキシコ北部と米国南西部の古代の文化を研究している。

アメリカの農耕を研究する、考古学者のマイケル・ブレイク(Michael Blake)は、サイト13の居住者がチョコレートを、家であれ旅中であれ、栄養源として消費していたという論文の説に疑問を投げかけている。カカオがアメリカ南西部にもたらされた頃は、それは「稀少な、高価な、そして極めて価値の高い」ものだっただろう、とブリティッシュコロンビア大学ヴァンクーヴァー校(カナダ)のブレイクはEメールに書いている。「私は自分の娘の結婚披露宴でキャヴィアと素晴らしいシャンパンを供するだろう。だが私はキャンプ旅行に行くときにそれをランチバッグに押し込めようとはしないだろう」

ドロシー・ウォッシバーンはカカオの重要性の証拠は、当時の他の道具を新しい研究結果に照らして再調査すれば、そのような人造物からも見つかるだろう、そしてカカオに関する慣習は人々がそれを食べるのを止めたら死に絶えるだろう、と答えている。彼女はその研究結果がサイト13の村民がカカオのほとんどを儀式食として食べていた可能性を除外するものではないとも話す。

少なくとも、ウィリアム・ウォッシバーンによると、この結果は「これらの人々がチョコレートの嗜好を獲得していて、それを調理する方法も知っていた」ことを示すという――そうなら彼らは1200年後の現代のチョコレート愛好家たちとそんなに違わなかっただろう。

元記事
Science NOW
Earliest Evidence of Chocolate in North America
Traci Watson, 22 January 2013

原論文
Dorothy K. Washburn, William N. Washburn and Petia A. Shipkova
Cacao consumption during the 8th century at Alkali Ridge, southeastern Utah
Journal of Archaeological Science Volume 40, Issue 4, April 2013, Pages 2007–2013
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