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欧州中石器狩猟採集民の交流

古代の狩猟採集民は交流し合っていた

by Michael Balter on 28 June 2012, 12:00 PM


遠方の親戚?このスペインの洞窟で見つかった、8000年前の狩猟採集民の骨格は、中央および東ヨーロッパで見つかった骨格と遺伝的に似ている。Credit: Alberto Tapia

約8500年前まで、ヨーロッパには狩猟と漁労を営み、野生植物を食べる非定住の狩猟採集民が住んでいた。その後、農耕生活様式が、現在のトルコを含む、中東の起源地から欧州大陸へとなだれ込んできた。3000年もしないうちに狩猟採集民のほとんどは姿を消した。これらの初期ヨーロッパ人について分かっていることは少ない。しかしスペインから産出した8000年前の2体の骨格の新しい遺伝学的分析は、彼らが遺伝的にも文化的にもきわめて密着した人々だったことを示す――他の研究者たちは興味深いが早まった結論だと感じている。

最初の現生人類の狩猟採集民は少なくとも40,000年前にヨーロッパに居住した。しかし彼らの繁栄は気候変動とともに満ち欠けし、最終氷期の高みの間(約25,000から20,000年前)、彼らは現在のスペイン、ポルトガル、およびフランス南部のようなヨーロッパ南部地域への避難を強いられた。彼らがヨーロッパ全域に再び広がったのは、永続的な温暖化傾向が始まった12,000年前以降のことで、中石器時代と呼ばれる時代の始まりだった。

研究者たちは彼らの後に来た古代農耕民を集中的に研究してきたが、ヨーロッパの中石器時代の人々ついて分かっていることは比較的まだ少ない。科学者たちは何十体もの農耕民の骨格から古代DNAを取り出してきたが、DNAを抽出された中石器人の骨格は30体よりも少ない。これらのほぼ全てが中央および東ヨーロッパからのものだ。

バルセロナ大学(スペイン)の遺伝学者、カルレス・ラルエサ-フォクスが率いるチームによる新しい研究は、Current Biologyの電子版に今日発表された。彼らは、2006年にスペイン北西部のラ・ブラーニャ-アリンテロと呼ばれる洞窟網で発見された2体の完全な、保存状態の著しく良い骨格から取り出した、ミトコンドリアと細胞核の両方からのDNAを解読した。ミトコンドリアは細胞の小さなエネルギー工場である。化石は両方男性で(骨盤のサイズとDNAから決定された)、数メートルしか離れていなく、うずくまった体勢で見つかった。放射性炭素年代は両骨格を約8000年前とした(放射炭素年代は先史時代と現在の間の大気中の放射性炭素の変動を反映して較正されている)。これらの年代は本当に近くて、技術的な誤差の範囲内であるので、二人のヒトが同時に洞窟に堆積したと思われる。そして、ラ・ブラーニャ2と呼ばれる片方の骨格は、24個の穿孔されたアカシカの犬歯で装飾されており、それはかつて体を覆っていた衣服に縫い付けられていたように見える。

チームは両方の化石セットからミトコンドリアDNA(mtDNA)を抽出することができ、ラ・ブラーニャ1骨格からのmtDNAを完全に解読した。ラルエサ-フォクスと彼の共同研究者たちは二つの骨格から核DNAを解読することにも成功し、ラ・ブラーニャ1とラ・ブラーニャ2のそれぞれ1.34%と0.53%に達した。彼らは二つの一次結果を得た。第一に、核およびミトコンドリアのDNAの配列は、現在のイベリア(スペインとポルトガル)にいるヨーロッパ人のものとわずかな関係しか持っていなかった。第二に、両骨格はU5bと呼ばれるmtDNA遺伝的グループのメンバーだった。それは今日のヨーロッパ人のあいだでは稀(約7%)だが、古代DNAを産しているヨーロッパ中の中石器人骨格ではほぼ半分――チームの科学文献調査によると、現在分析された全部で27体の中石器人の骨格のうち12体――に相当する。

第一の結果は、ラルエサ-フォクスと他の研究者たちによると、多数の他の最近の研究と一致する。現生ヨーロッパ人の多くがヨーロッパじゅうに広がった移住農耕民の子孫であり、彼らに先行した狩猟採集民の子孫ではないことが分かっている。しかしスペインの骨格がポーランド、リトアニア、ドイツ、および英国など、遠くの中石器時代の人々とU5b遺伝的プロファイルを共有するという結果は「驚きだ」とラルエサ-フォックスは話す。最初の農耕民は何千キロメートルにもおよぶ取引と交換の文化をヨーロッパじゅうに急速に広めたが、多くの研究者たちは中石器時代の非定住狩猟採集民は小さな、長距離の接触が少ない隔離されたバンドの中で生活していたと推定している。しかし遺伝学的な姿は、大陸じゅうに交流を保ち、交雑した「移動性の高い」グループだったことを示している、とラルエサ-フォクスは話す。

この遺伝的プロファイルは幅広い接触への考古証拠によって支持される、とチームは主張する。そのためアカシカの歯を個人装飾として使うことは中石器時代、ヨーロッパじゅうに広がり、これまで見つかっているU5b遺伝的グループと同じ範囲のほとんどに及んでいた。これは「ラ・ブラーニャの個体が離れた地域と緊密な文化的関係を持っていた」ことを示すと、彼らは論文の中で強く主張している。

ポール・サバティエ大学(仏トゥールーズ)の遺伝学者、ルネ・シキは、ラ・ブラーニャの骨格がそのような近い遺伝的関係を中央および東ヨーロッパの狩猟採集民と持っていたことは「非常に驚いた」と話した。なぜなら彼はそれらの間にもっと多くの遺伝的差異があると思っていたからだ。それでも、彼は確かな結論を導くためには分析された中石器人骨格が少なすぎると警告した。

ハダースフィールド大学(英国)の遺伝学者、マーティン・リチャーズは、このデータが「説得力があって興奮させる」ように見えるが、「サンプルセットが現時点で僅か」で小さなサンプルサイズは「誤認」結果を生むことがあるため、予備的にだけ考えるべきだと話す。彼は中石器時代の骨格のうち半分だけがU5bグループに入ることから、中石器人はまだ「かなり多様」であり、研究チームが強く主張するように統合されていなかった、とつけ加えた。「不幸にも、一部の古代DNA研究者は、全地域の古代の遺伝構造について大雑把な主張をする誘惑に抗しきれないようだ」

ソランジュ・リゴーはさらに懐疑的だ。彼女はラ・ブラーニャや他のヨーロッパの産地からのアカシカ犬歯の装飾を研究してきた、ボルドー大学(仏国)の考古学者だ。彼女はチームが装飾的歯の広範囲にわたる使用を、大陸じゅうの緊密な文化的接触への証拠としたのは間違っていると話す。中石器時代の人々は犬歯に孔を開けるのに多岐にわたる技術を使っていた。リゴーによると、彼らはシカの歯という同じ素材から出発したが、実際に装飾工芸を施した方法になると、彼ら異なった文化的伝統を持っていた。

元記事
Science NOW
Ancient Hunter-Gatherers Kept in Touch
by Michael Balter on 28 June 2012, 12:00 PM

原論文
Federico Sánchez-Quinto, etal.
Genomic Affinities of Two 7,000-Year-Old Iberian Hunter-Gatherers
Current Biology, 28 June 2012, 10.1016/j.cub.2012.06.005
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